その後のこと

仕事、母業それぞれ休職→大学院→その後

It's not a big deal

学校は決めたものの、行けるか決まってないので宙ぶらりんな今日この頃。

寝すぎて頭痛が酷くなってきたから、楽しいことからやってきましょってことで

身辺整理の一環で、報告キャンペーンを開催することにしました。

要約すると、飲み歩くです。

 

 

まず第一弾は、私が初めて「おら大学院さ行く」って伝えた会社の先輩方。

入社して初めて配属された部署の方々で、

先輩っていうか、人生の先輩っていうか、むしろ保護者目線な年の差。

 

約10年前に「大学院行く」って伝えたとき、

Aさん「え?子どもどうすんの?」

Bさん「え?旦那さんどうすんの?」

Cさん「え?会社辞めんの?」だったんですよ。

 

良くも悪くも遠慮がないので、

「行ってどうするの?」「行って何になるの?」「何のために行くの?」

「お母さんは1人だよ?」「キャリアにはマイナスじゃない?」

「子供は平気なの?」「自分だけ楽しければいいの?」「旦那さんはいいって?」

身近で率直なご意見に対して、

「行く」「絶対行く」「行けないなら会社辞めて行く」って言い続け5年経ったころ、

「しつこい、わかった。行ってこい。」「そんなに行きたいなら行け、うるさい。」

「行けるまでずっと言ってそうである意味あなた面白い。」になった。

その後5年経った今でも、やっぱりCさんは最後まで反対だったみたいだな。

Cさんと去年飲んだ時、私の留学の話が佳境に入って来た段階だったんだけど、

話決裂→私号泣→日本酒止まらない→なのに記憶飛ばず、、の神回あったな。

最寄り駅一緒での帰り道、

私「じゃあCさんが私の立場だったら、どうするっていうんです!?」

C「誰に何て言われようと知るかっ 行くに決まってるわ!」

私「なんじゃそりゃ!!」

C「やりたい事やり通せ!お前人のいう事なんて聞くタイプじゃないだろ!」

傍らで約10年反対し続けてくれる人って貴重だなって思った瞬間やったわ。

ありがたや。。。 

 

 

で昨日は、

Aさん「まぁ、単身赴任の逆バージョンみたいなもんだよね」

Bさん「何でも許してくれちゃう旦那さんって、却ってこっちは寂しいよね」

Cさん「え?会社辞めないよね?」

10年経つと世の中も、人の意見も変わるもんですわ。 

 

ところでCさん、既視感半端ない。

っていうのもCさんは、人事関係に結構絡んでた事があって

当時我が社にもあった大学院派遣制度やらもやってたらしいんだけど、

みーーーーーーーーーんな辞めてったんだって。

みんな。そう、みんな辞めたって。

 

Cさん曰く、海外まで勉強しに行ったのに、帰ってきてキラキラ部署で働けなくても

5年は腐るなって。ええ、5年はいますよ。誰も雇ってくれないでしょうから。

 あと、人事にあんなことやこんなこと言われてもめげるなって。

それはね、割とすぐめげると思う。

 

ただね、すぐ辞めるつもりなんて全くないんす。

やりたい事がはっきりした以上、そのスキルを獲りに行って

その道のスタートラインに立ちたいだけなんす。

その分野で日本は遅れてて、学校の選択肢が無さ過ぎて海外行くんす。

 

ただ、どのスキルも、ずっと研磨し続ける必要があるじゃないすか。

研磨するには研磨剤いるし、研磨剤買うには金が要るじゃないすか。

スタートラインにやっと立って帰国しても、

収入無くなったら研磨剤買えないじゃないすか。

 

私がやりたいのは、会社の中枢で酔いしれる事じゃなくて

もっと汎用的で一般的な事なんすよ。

そのためにそのスキルが自分にあったら、

もっと楽しそうだなって、そんくらいのもんなんすよ。

んな、大したことちゃうんですよ。

 私は留学しに行くんじゃなくて、職業訓練校に行くような心持ちなんすよ。

で、ついでに色々…ってそんな感じなんすよ。 

 

皮肉なんは、今回の事変で初めて本気で転職が視野に入った事でありんす。

そもそも、我が社で仕事がしたかったから、

ニーズあり、且つ自分も好きなものを勉強しようってのが一つあったんすけど、

引いて見てみれば、それって別に我が社だけのニーズではなかろうと。

賢者ABCとの会話からヒントを得ることが出来ました。

 

あっちでの視点が変わるので、渡英前にそれが分かって幸運でした。