その後のこと

仕事、母業それぞれ休職→大学院→その後

こっちのはストライキのせい。

お腹が張るのが楽しめる状態になるまで食べ続けてしまう。

ストレスとは偉大である。

 

学校休校になりましたね。

真っ先に思うのが、共働き世帯のことです。

まぁ今は戦線離脱してるけど、言っても当事者ですから。

もうどうしても出社しろっていうなら、職場連れてったらいい。

それもダメだというなら、その意見とともに

有効な代替案を出してもらおうじゃないか。

じゃなきゃ知るか、黙れボケって笑顔で言いましょう。

って言っても、連れてける職場ばっかじゃないよね。

 

 

どこかの記事で見て、本当にそうだなと思ったことがありましたが、

もっと周りを気にしなくていいと思うんです。

もっと日本国民総出で「知るかボケ」運動を推進していったらいいと思うんです。

 

そんな事したら無秩序カオスになるじゃんってお思いになるやしれませんが、

擬似監視社会を求められてもいないのに勝手にやり遂げてる私たちですから、

頑張って開き直っても、他人様の視線が病的に気になる!が、

いやはや結構気になる!になる程度です。

 

人に迷惑をかけないように言われて育ちましたが、

それを気にするあまり行動が制限されたり、

逆に”迷惑行為”に対してかなり批判的に捉えたりします。

当たり前です。

自分が禁止されていることを人にされて、面白いわけがありません。

自分だって我慢して良い子にしてるのに、何やねんお前は?ってなる。

 

でも何が迷惑かも何が良い子かも、ぼんやりとした規範しか無く、

そこに全力でしがみつきながら文句を垂れ、

その枠からはみ出る人を、そこも全力で批判するわけです。

この場合の他者への批判は、翻ってみれば、自己肯定です。

要するに、自己肯定を全力でやらないとスッキリできないくらい

しがみついてるぼんやりしたものは、納得できるものじゃないってことです。

 

規範があるからカオスにならないのではないのですよね、きっと。

だって、規範が作用してればカオスにならないなら、

法治国家全部幸せあっぱらぱーじゃないですか。

でも結局、どこもかしこもカオスですわね。

そして息苦しい。

じゃあどうせカオスなんだから、何が迷惑か、何が親切か、

自分で考えて行動した方がよっぽど健康的です。

そしてそれは、人それぞれ違くて、

貴方にとっての迷惑は、私が差し伸べた親切の手かもしれない。

それだっていいじゃない。

知るかボケです。

 

 

そもそも、そういう事を平和にぼーっと考えて行動できる環境に生まれた

恵まれた自分の特権をもっと行使して然るべきだと思うんです。

 

そして、自分の心に正直に生きるのと、

そのために人はどうでもいいというのは全く違う議論です。

ラーメンとテニスの比較論ぐらいです。

 

人は一人じゃ生きられないんだから

結局は自分に正直に生きるためには人の助けが必要なんですよ。

そのために大切にしたい人は、ほんの一握りでいい。

それ以外は、知るかボケです。

大多数の、無限にも近い数の衆に迎合するより余程現実的で、

あなたの幸せに直結しています。

王道にも近道があるんですよ。

でも首から上についてる最重量臓物を生きてるうちに駆使せにゃならん。

 どう使うのか。

それを考えるために呼吸してるわけです。

 

 

 

そして私の大切なSHたちの傍に今居れない事が

このような感情をもたらすという事実を記録して今日の日記とします。

 

 

 

 

 

 

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