その後のこと

仕事、母業それぞれ休職→大学院→その後

引きこもりへのすゝめ

私ってば、かなりの面倒くさがり屋で、

そこは胸を張ってじっと目を見据えてトップレベルを保証できる。

 

昔、面倒だ面倒だ、何もかもが面倒だって今より強めに思ってた時期があって、

そうなってくると何かしたいこともないし、頑張るなんて論外だし、

そもそも頑張るって何を?面倒じゃん?その先に何が?みたいな。

行動も思考も何もかも面倒になってくると

死ぬのさえ面倒だから死ぬこともなく。ってか、苦痛も面倒。

引きこもりに成功体験を!とかって聞いたことあるけど、

そもそも、成功したって充実したって一瞬だし

それをずっとやり続ける根性あったらこうなってねーよってね。

 

当時はネットが当たり前の時代じゃなかったから

何もしない見ない聞かない喋らない時間だけはたくさんあったんだけど、

不思議なもんで、一日なんてあっという間だったんだよ。

時間が砂みたいに流れて、罪悪感と混ざった意識がフワフワしてて。

あそこでおいらが貧乏じゃなかったら、知識がもう少しあったなら

酒かクスリかやって、今頃別世界にいたかもしれないな!

おそらくそこは、病院か刑務所かの二択でしょう。

 

今だから思うけど、当時の私は無い無い尽くしで運が良かったなって。

社会のどこにも属さない状態で、でも引きこもってる家は針の筵で、

ネットみたいなバーチャル異世界への避難扉も無く、ただ食べて排泄して。

そういう状態で年単位過ごした結果、飽きたの。

まんまって感じだけど、これが結構衝撃だった。

 

だって、飽きって不快なんだよ。

それまで2年くらい、麻痺しすぎて不快って感覚すら忘れてたの。

脳味噌ってあこぎなもんで、悲劇だろうが喜劇だろうが刺激がないとダメなの。

幸せでも不幸でも何でもいいの、だから不快でもいい。とにかく刺激。

飽きると、面倒を避けたい気持ちより、刺激を求める気持ちが勝つんだよ。

その「求める」ってのが「欲望」であって、一番厄介で強力な原動力だよ。

 

「足るを知る」ってよく聞くけど、すごく難しいと思うんだよね。

欲って、欲望って、無くせないし、失くしちゃいけないし

世の中人類皆それに振り回されてひーひー言ってるわけでしょ?

欲望コントロールの一環としての標語なのかもだけど

それが出来たら大晦日に飽きずに毎年、鐘108回もつかないでしょ。

そこそこに甘んじて生きて行こうって聞こえるんだよ。

その姿勢じゃ絶対に「そこそこ」の境地には行けないのに。

 

一方で、無いのを自覚するって結構有用だと思うんだよね。

自分に何も無いっていうのは、どん底まで落ちると身に染みる。

そこで初めて自分の輪郭がぼやけて見えるんだよ。

しかも最終的なトリガーって、何にも無い自分に絶望したってよりも、

「飽き」た時に、身動き取れなくなってた自分に恐怖を感じたのよ。

もう動いてもいいや、動きたい!って思ってんのに身動きとれないの。

お腹凄い空いてて、目の前にご飯があるのにツールがない状態。

あれ、飯ってどうやって喰うんだっけ?みたいな。 

 

外からの刺激に依存していけば、自分から刺激を取りに行くやり方も忘れる。

自分には欲望くらいしかないのにね。 

欲望を叶えるツールが無い状態への恐怖がきっかけで、引きこもるの止めたんだよね。

それに欲望って、実体験を通してしか満たされないんだもん。

 

だから結論、「恐怖心」ってのが一番効果があるんでしょうね。

おぉ、やっぱり人間もアニマル、辺縁系には勝てないんだ。 

 

なんでこんな事書いてるかって、最近、結構引きこもり生活に飽きてきてる。

飽きる=恐怖心に繫がってる私は、目が覚めてきてしまった。

こんなに早く飽きると思わず、早めにフィリピン行こうかな。